東京高等裁判所 平成12年(行コ)176号 判決 2000年12月14日
控訴人(原告)
株式会社タキオテック
右代表者代表取締役
A
右訴訟代理人弁護士
菰田優
被控訴人(被告)
特許庁長官B
右指定代理人
C
同
D
同
E
同
F
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴人の求めた判決
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が、原判決別紙特許出願目録1ないし5記載の各特許出願(本件各特許出願)について出願公開を行わないことは違法であることを確認する。
第二事案の概要
一 次の二、三のとおり当審における当事者の主張の要点を付加するほか、原判決の「第二 事案の概要」のとおりである。なお、当裁判所も、「本件特許出願」、「本件各取下げ」、「本件後出願」、「本件各発明」、「本件各特許を受ける権利」の用語について、原判決と同様に用いる。
控訴人は、本件特許出願1ないし5に係る本件各発明について、いずれもその発明者であるG(当時の控訴人の代表取締役)及びH(同じく取締役)から、特許を受ける権利を譲り受けて、平成八年八月六日に本件特許出願1ないし3について、同年一〇月一八日に本件特許出願4について、同年一二月四日に本件特許出願5について、それぞれ特許出願したところ、右Gは、控訴人の代表者として、被控訴人に対して、平成九年二月七日、本件各特許出願について出願取下書を提出し(同月一〇日受付)、本件各特許出願を取り下げた(G及びHは、その直後に右各役職を辞任した。)。そこで、控訴人は、本件各取下げによってGらが事実上発明者として出願することが可能になるから、本件各取下げは、実質的には、控訴人からGらに対する本件各特許を受ける権利を再譲渡するに等しいと主張し、①控訴人が本件各特許を受ける権利をGらに再譲渡することは取締役と会社間の利益相反取引となるから、取締役会の承認がない限り無効である(商法二六五条一項本文)、②本件各取下げは、Gらが自らの利益を図り会社の利益を一方的に奪うことを目的としてされたものであって、代表取締役の権限の濫用行為として無効であるなどと主張して、被控訴人が本件各特許出願をした日から法定の期間(特許法六四条一項所定の一年六か月)が経過した後に本件各特許出願について出願公開を行わないことは違法であると主張して、その不作為の違法確認を求める請求をした。
原判決は、本件特許出願1ないし3に係る訴えについて、控訴人は、平成八年一〇月二一日に、特許法四一条一項本文に基づき、本件特許出願1ないし3を先の出願とする優先権の主張をして本件後出願をしたため、同法四二条一項本文により、優先権の主張の基礎とされた先の出願である本件特許出願1ないし3は、その出願から一年三か月を経過したときに取り下げられたものとみなされることになり、仮に、控訴人の主張するとおり本件各取下げに無効事由があった場合でも、本件特許出願1ないし3については申請行為がなかったことになるから、本件各取下げの無効を理由とする本訴請求は訴えの利益を欠くと判断して、訴えを却下した。
また、本件特許出願4及び5に係る訴えついては、控訴人がGらから本件各特許を受ける権利の譲渡を受けている以上、本件各特許出願が取り下げられても、控訴人は本件各特許を受ける権利を喪失するわけではないから、再度出願することができ、反面、Gらは特許出願をすることはできない筋合いであるから、本件各特許出願を取り下げる行為は、本件各特許を受ける権利を控訴人からGらに再譲渡する行為に等しいと評価する余地はないとして、控訴人の無効事由の主張はいずれも前提において理由がなく採用することができず、本訴請求は理由がないと判断して棄却した。
二 当審における控訴人の主張の要点
1 特許法四二条一項本文の解釈について
原判決の同条文の解釈には誤りがあり、後願において国内優先権を主張するための基礎とされた出願であっても、その出願から一年三か月の経過によって常に取り下げられたものとみなされるものではないと解すべきであり、本件特許出願1ないし3について訴えを却下すべきでない。
2 本件各取下げの無効事由について
(一) 原判決は、本件各取下げが無効であるとの控訴人の主張は前提において理由がないと判断するが、以下のとおり、特許法の解釈を誤って論断しており、不当である。本件各取下げは、利益相反取引及び代表者の権限濫用として無効とされるべきである。
(1) 原判決は、本件各特許出願が取り下げられても、控訴人は本件各特許を受ける権利を喪失するわけではないから、当然に再出願することができるとしている。しかし、特許法は、先願主義が原則であり(同法三九条一項)、右取下げは先願の利益を奪うものであるから、改めて出願して意味があるのは、その出願までに出願内容が公表されておらず(同法二九条一項一号)、かつ、他の者から同様に発明について出願されていないことが条件である。
しかるところ、本件各特許出願については、本件各取下げの時点で、平成九年三月三一日に実施された第四四回応用物理学会関係連合講演会において、発明内容が発表されることが決まっており、控訴人が取下げの事実を知った時点では、公表を阻止することができなかった。その結果、本件各特許出願に係る発明の内容は、本件各取下げの後にすぐに公表されて、再出願は法律上、効力を有しないものとされている。
(2) また、原判決は、本件各特許出願が取り下げられても、Gらは特許出願することができない筋合いであるとしている。
しかし、たとえ発明者が特許を受ける権利を第三者に譲渡しても、発明者が特許を受ける権利を失うものでないことは、特許を受ける権利が二重譲渡され得ることを前提に、特許の出願が第三者対抗要件をされていることからも明らかである(特許法三四条)。すなわち、特許を受ける権利の譲渡があったとしても、譲渡人が先に出願してしまえば、特許法上は、後願としての効力しか持ち得ず、先願の利益は失うというべきである。
(3) Gらは、本件各取下げの時点で、近い将来前記の公表がされることを見越しており、さらに、Hは、本件各取下げ後に改めて同様の発明について特許出願をしており、自らの利益のために、控訴人の特許を受ける権利を実質的に奪う目的で、本件各取下げをしたことは明らかである。
原判決は、形式的に、控訴人が再出願をすることが可能であるというだけで、実質的な利害を全く考慮せずに判断しているが、右のとおり、Gらの害意の強さ及び控訴人の実質的な損害を考慮すれば、実質的な意味で利益相反取引に当たるものであり、そうでないとしても代表権限の濫用として民法九三条ただし書の類推適用により無効とされるべきである。
(二) 利益相反取引又は代表者の権限濫用の場合に、その取引が有効とされるには、通常は、取引の相手方の善意無過失が要件とされる。
しかし、これは取引の安全を考慮したものであって、代表者に権限があると信頼して取引した者を保護するためである。しかるに、特許出願の取下げという手続においては、その手続の相手方である被控訴人は、この取下げが有効か無効かについて民事的な取引上の利益を有する者ではない。
したがって、被控訴人の善意無過失を問う必要はない。このように、解すると、特許申請手続上、他の申請者の利益を害するおそれがないか問題となるが、他の申請者の利益を害することは原則としてないと考えられる。なぜならば、取下後に、類似の発明について善意の発明者が申請しても、もともと後願としての意味しかなかったのであるから、この申請を保護する必要がないからである。
もっとも、取り下げた特許を放置して、外観上先願が存在しない状態が長期間継続し、類似の発明者の後願が特許を取得した場合は、その特許を取得した者の利益を考慮すべきであると考えられるが、この場合は、取り下げた状態を放置したことに問題があるというべきであるから、双方の利害を考慮し、善意の出願者を保護すれば足りるものである。
このように、被控訴人は、特許出願の取下げが有効か無効かによって何ら民事上の利益、不利益を受けないのであるから、利益相反取引又は代表者の権限濫用の適用について、被控訴人の主観を考慮する必要はなく、他方、民事上の利益を考慮すべき第三者が生じたときには、その者の保護の観点から、その第三者の主観を考慮すれば足りるものである。
(三) 仮に、利益相反取引又は代表者の権限濫用の場合に、その行為が無効とされるために相手方の善意無過失が必要であるとしても、被控訴人には過失があったというべきである。
すなわち、本件で取り下げられた出願は、すべて発明者が控訴人の代表取締役であるGと取締役であるHであり、発明者らが控訴人にその特許を受ける権利を譲渡した事案であることが容易に推認し得るところ、その出願を取り下げることにより控訴人の先願の権利を喪失させるものであることは明白である。
したがって、客観的にみて、この取下手続が、発明者である代表取締役らに有利であり、出願人である控訴人に不利なものであることは明白であるので、被控訴人が利益相反取引又は権限の濫用について善意であったとしても、過失があることは明らかである。
三 当審における被控訴人の主張の要点
1 原判決が説示するとおり、控訴人が、本件各特許出願をした後に、これを取り下げた場合であっても、本件各発明について、特許を受ける権利を喪失するわけではないから、控訴人は、右権利に基づいて、本件各取下げが明らかになった時点で、直ちに再出願することができたのであり、このことは、その後に当該発明の内容が公表される予定であったか否かによって変わるものではない。
控訴人は、発明者が特許を受ける権利を第三者に譲渡しても、発明者が特許を受ける権利を失うものでないことは、特許を受ける権利が二重譲渡され得ることを前提に、特許の出願が第三者対抗要件をされていることからも明らかであると主張するが、特許法三四条一項は、特許出願前における特許を受ける権利の承継についての第三者に対する対抗要件を規定したにすぎず、本件は、譲渡当事者間の問題であり、発明者であるGらから本件各特許を受ける権利を承継した控訴人が、本件各特許出願をした以上、その後、これが取り下げられても、控訴人は依然として、本件各特許を受ける権利を有し、再出願することができるのである。そして、発明者であるGらは、本件各発明につき本件各特許出願前に控訴人に譲渡し、本件各発明について特許出願をしなかったのであるから、控訴人の本件各取下げ後であっても、本件各発明について特許出願をすることはできない筋合いにある。
なお、本件各特許を受ける権利を有する者でも、その承継人でもなく、また、共同発明者の一人にすぎないHが自らを発明者として本件各発明に付いて、控訴人より先に出願しても、Hは特許出願をすることができない筋合いにあり(特許法三八条)、Hの出願は、同法三九条一項の先願の適用を受けることはない(同法三九条六項)。
2 控訴人は、本件各取下げについて、商法二六五条一項本文や民法九三条ただし書の類推適用による無効の主張をし、被控訴人は、特許出願の取下げが有効か無効かについて民事的な取引上の利益を有する者ではないから、その善意無過失を問う必用はない旨の主張をしている。
しかしながら、特許制度は、新技術の開示によって発明の利用、奨励を図り、産業の発展に寄与すると同時に、開示した者に一定期間独占権を与えて保護することを目的としており、したがって、特許出願をすることによって、出願に係る発明について一定の対世的、排他的効力が生じるのであって、その出願の手続及び取下げの手続については、第三者に重大な影響を及ぼすことになるのであるから、その各手続の安定性の要請は著しく強いものといわなければならない。したがって、このように強く手続の安定性が求められる特許出願の手続及びその取下げの手続の効力が、まったくの出願者の内部的な事情によって左右されるというような結果を招来するような控訴人の解釈は、およそ採り得ない。
そもそも、特許出願の取下げについて、私法上の効力規定がそのまま適用されるか否か疑問であるが、その点を措いても、商法二六五条一項のいわゆる利益相反取引においては、これによる無効を第三者に主張する者が、第三者が当該取引について取締役会の承認を得ていないことを知っていたことを主張、立証しなければならず、また、代表者の権限濫用の場合であっても、それによる無効を主張する者が、相手方が権限を濫用した行為であることについて悪意又は過失があることを主張、立証しなければならないと解されている。しかし、本件において、控訴人は、利益相反取引による無効の主張について、そもそも取締役会の承認がなかったことを被控訴人が知っていたことを主張するものではない。
3 また、控訴人は、被控訴人が、本件各取下げが権限濫用に当たることについて善意であったとしても、過失があることは明らかであると主張するが、特許の発明者と当該特許出願の取下げをした代表者とが同一人であったとしても、被控訴人において、当該特許出願を取り下げた代表者が自己又は第三者の利益を図るために当該取下げをしたことを知り得るべきであったということができないことはいうまでもなく、控訴人の主張は失当である。
第三当裁判所の判断
一 当裁判所も、本件特許出願1ないし3に係る本訴請求は、訴えの利益を欠くものとして不適法であり、また、本件特許出願4及び5に係る本訴請求は、本件各取下げについて無効と解する余地がなく、理由がないと判断するが、その理由は、本件特許出願4及び5に係る本訴請求について、次のとおり付加するほかは、原判決が「第三 争点に対する判断」で説示するとおりである。
二1 特許出願の取下げという特許法上の手続行為について、控訴人が主張する商法二六五条一項又は民法九三条ただし書が適用ないし類推適用されるか否かという点や本件各取下げの行為が利益相反取引や代表者の権限濫用に当たるか否かという点を措いても、右各法条の適用の要件としては、まず、利益相反取引について、当該会社以外の第三者に対して商法二六五条一項違反による無効が認められるためには、当該取引について取締役会の承認を得ていないことにつき、第三者が悪意であることを主張、立証することを要するものと解されるところ、控訴人はこの主張をしておらず、控訴人の主張は、この点からも失当である。
また、民法九三条ただし書の類推適用による無効が認められるためには、同条が規定するとおり、第三者が会社の代表者の権限濫用について悪意又は過失があることを主張、立証することを要するところ、控訴人はこれに当たる事実を主張しておらず、控訴人の主張は、この点からも失当である。
2 控訴人は、特許出願の取下げという手続においては、被控訴人は民事的な取引上の利益を有する者ではないから、利益相反取引又は代表者の権限濫用の適用に際し被控訴人の主観(善意無過失又は悪意有過失)を考慮する必要はない旨の主張をする。
しかしながら、控訴人の右の主張内容は、むしろ、特許出願の取下げという特許庁長官(被控訴人)に対する特許法上の手続行為については商法二六五条一項や民法九三条ただし書の適用ないし類推適用を否定する考え方の根拠ともなり得るものであって、特許出願の取下げにつきこれらの法条の適用ないし類推適用を肯定する考え方を前提にする場合には、控訴人の右主張のような解釈は採用することができない。
3 さらに、控訴人は、本件各取下げの手続が発明者である代表取締役のGらに有利であり、出願人である控訴人に不利なものであることは明白であるから、被控訴人に権限の濫用について過失があることは明らかである旨主張しているが、特許の出願者が、特許出願を取り下げる理由は多種多様にわたるものであることは明らかであるから、その取下げに係る特許出願の発明者が出願人の会社の代表取締役や取締役であるという事実のみをもって直ちに、その取下げが当該代表取締役の権限濫用に当たることについて、被控訴人に過失があることを基礎づけるものであるとすることはできないというべきであり、控訴人の右の主張は到底採用することができない。
4 その他、本件各取下げについて無効であると解すべき事実の主張及び立証はない。
したがって、本件特許出願4及び5に係る本訴請求は理由がない。
三 よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 橋本英史)